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石川県金沢市の小さな不動産屋です。

『金沢の小さな不動産屋』開業から、1年と少し経ちました。
まだまだ覚束ない私たちですが、この機会に少しだけ振り返ってみたいと思います。
いつもは「私たち」ですが、今回は「私」という一人称で書いてみます。

そもそも不動産屋をやろうと思ったのは、家を購入する際にイヤな思いをしたことが原点です。
当時は、30代女性が自分名義で一軒家を購入するのは珍しかったようで、地元銀行のローン担当者は訝しむ態度を隠そうともしませんでした。
私が提出した書類の上に、その担当者が鼻をかんだティッシュを置いたのを目の当たりにし、「こんなことにも堪えないと、お金って借りられないのか」と歯ぎしりしました。
結局、別の銀行でローンを借りたのですが、今でもその銀行を見かけると、当時のことを思い出すくらい苦い思い出になっています。

こんなイヤな思いをする人がいなくなればいい。
私なら、その心細さも悔しさも理解できる。味方になれる。
そう自惚れて、不動産屋を立ち上げたのです。
「あの頃の自分」に紹介したい不動産屋になれればいいな、と思いながら。

そして今年、そんな不動産屋になれているのかを自問する機会がありました。
能登半島地震です。

1月中旬、地元に寄りました。
連日、液状化現象がニュースになっている地区で、ちょうど罹災判定の最中でした。
昔からの知り合いの家々に、赤い紙や黄色い紙が貼られているのを見て、心が粟立ちました。
浮き上がった家や湾曲した道路…この見慣れない景色は、本当に現実?
どこか夢うつつで、帰り道のことはあまり覚えていません。
ただ、このことばかり考えていました。

「私なら、その心細さも悔しさも理解できる。味方になれる」

私の地元に、住むところを失ったたくさんの人がいる。
今の私なら、地元の人たちがどんな家を望むのかを理解し、似たような地域性を持つ場所を探すこともできる。
私個人でできることはとても限られるけれど、不動産屋としてなら役に立てるはず。

これから本格化するであろう住宅供給に尽力したい、と切実に思います。
「あの頃の自分」に紹介したい不動産屋さんなら、なにから始めるだろうと自問しながら。